御祭神
伊邪那岐命 (いざなぎのみこと)/
素戔鳴尊 (すさのをのみこと)
御神徳
伊邪那伎命(いざなぎのみこと)
御神徳 延命長寿・縁結び・事業成功
素戔嗚尊(すさのをのみこと)
厄除け、縁結び、開運、病気平癒、必勝
鈴鹿明神社は、遠く第29代欽明天皇の御代に創祀せられたという。伝説によると、伊勢の鈴鹿郷の神社例祭に神輿が海上を渡御した折、にわかの暴風に襲われ、漂流して相模国入海の東峯に漂着した。里人が社を創立してこれを鎮守とし、鈴鹿大明神と崇め奉ったと伝えられている。また天平年間にこの地は鈴鹿王の所領で土甘(とき)郷と言った(正倉院文書)ところから、時人が王の御名を冠して鈴鹿の字名が発祥したとも推察される。
鈴鹿明神社は、遠く第29代欽明天皇の御代に創祀せられたという。伝説によると、伊勢の鈴鹿郷の神社例祭に神輿が海上を渡御した折、にわかの暴風に襲われ、漂流して相模国入海の東峯に漂着した。里人が社を創立してこれを鎮守とし、鈴鹿大明神と崇め奉ったと伝えられている。また天平年間にこの地は鈴鹿王の所領で土甘(とき)郷と言った(正倉院文書)ところから、時人が王の御名を冠して鈴鹿の字名が発祥したとも推察される。
鈴鹿明神社は、往古、東南西方平坦な水田で、その中央一丈余りの高所に、はるばる大洋を望むかの如く鎮座していた。境内は船の形をし、数十の樫の古木が繁茂し、参道中央に銀杏の大木があって、さながら船の帆の様であった。その遠景を人は「舟形の森」「樫の森」と呼んで親しんだが、今はその銀杏もなく、地形も変動して面影はない。しかし神社の地形が前方後円墳にも似るところから、昭和39年に社殿の東側草地を発掘したところ、1,500年以前の地下式住居跡(約7坪)が発見され、古代の祭祀遺跡埋蔵されている事も想起され、かすかに昔日をしのばせる。
鈴鹿明神社は、往古、東南西方平坦な水田で、その中央一丈余りの高所に、はるばる大洋を望むかの如く鎮座していた。境内は船の形をし、数十の樫の古木が繁茂し、参道中央に銀杏の大木があって、さながら船の帆の様であった。その遠景を人は「舟形の森」「樫の森」と呼んで親しんだが、今はその銀杏もなく、地形も変動して面影はない。しかし神社の地形が前方後円墳にも似るところから、昭和39年に社殿の東側草地を発掘したところ、1,500年以前の地下式住居跡(約7坪)が発見され、古代の祭祀遺跡埋蔵されている事も想起され、かすかに昔日をしのばせる。
明治2年12月、神奈川県下20大区、27ヶ村(座間市入谷村、座間宿村、新田宿村、四ッ谷村、新戸村、磯部村、下溝村、上溝村、当麻村、田名村、大島村、下九沢村、上九沢村、相原村、橋本村、小山村、清兵衛新田、矢部村、同新田村、渕ノ辺村、鵜ノ森村、上鶴間村、下鶴間村、柏ヶ谷村、栗原村、上今泉村、下泉村)の郷社に列せられた。これは現在の座間市、旧相模原市の全域と大和市と海老名市の一部を占める広域なものであった。さらに昭和43年1月、神奈川県神社庁献幣使参向神社となり、現在に至っている。
明治2年12月、神奈川県下20大区、27ヶ村(座間市入谷村、座間宿村、新田宿村、四ッ谷村、新戸村、磯部村、下溝村、上溝村、当麻村、田名村、大島村、下九沢村、上九沢村、相原村、橋本村、小山村、清兵衛新田、矢部村、同新田村、渕ノ辺村、鵜ノ森村、上鶴間村、下鶴間村、柏ヶ谷村、栗原村、上今泉村、下泉村)の郷社に列せられた。これは現在の座間市、旧相模原市の全域と大和市と海老名市の一部を占める広域なものであった。さらに昭和43年1月、神奈川県神社庁献幣使参向神社となり、現在に至っている。
祇園守紋の由来
当社の社紋は「祇園守紋」中央の巻物は京都祇園の八坂神社の御神符を表してると言われております。
弘治2年(1556年)5月2日祇園八坂神社より素戔嗚尊(すさのをのみこと)を合祀したことに由来する。
境内案内
本殿
現在の本殿は平成の御大典奉祝事業として、氏子崇敬者の御浄財を賜り、平成5年4月に竣工。
総ひのき、入母屋切妻作り。
本殿左手にはスロープがございますので、車いすの方でも参拝にご利用いただけます。
本殿内へは移動式のスロープをご準備しておりますので、車いすの方もご本殿へスムーズにお入りいただけます。
参集殿
結婚披露宴場として昭和57年10月竣工。現在は御祈祷控室として使用。地上3階地下1階。
お手洗いは1階、2階にございます。
1階バリアフリートイレもございます。
鐘楼
以前は元禄3年(1690年)に作られた鐘楼があり、当時の氏子と27ヶ村の名主が奉納したものであった。しかし、昭和18年5月25日軍命により供出することになった際、氏子が写真を残し、銘文を書きとっていた。現在の鐘楼は、昭和48年12月19日氏子崇敬者より浄財を集め、再興したものである。また、この鐘を『迎神の鐘』と銘すると共に、『和魂和根』(日本人の心を表す平和の魂は平和を実行する根を作る意味)の四文字を刻み、朝夕に撞く鐘の音と響きにより、世界平和と氏子崇敬者の繁栄を祈願するための鐘。
座間市遺族会 戦没者慰霊碑
鈴鹿の杜の宮垣を斎庭として、日清・日露・太平洋戦争で戦死した、座間市の英霊260余柱が合祀されている。
斎藤昌三氏の句碑
斎藤昌三氏は明治20年にこの地に生まれ、昭和36年11月76歳で茅ヶ崎に没している。民族研究家、書誌学者として著名であり、俳人としては少雨叟と号した。
神社への奉納の句は『赤まんま鎌倉古道ここに絶え』で古来、鎌倉街道と伝承されている道が、座間キャンプ(元陸軍士官学校)により断ち切れている情景を見て、武士道も昔の日本も時代の波に押し流されたことを嘆き唄っているような句である。
手水舎
平成14年より氏子会を中心に進められ、同年8月から建立開始、翌年11月23日に竣工式を迎えた。手水鉢は縦120cm横210cm高さ90cmの愛知県岡崎市産の臼石をくりぬいたもの、切妻屋根式の建物は銅板葺きのケヤキ造り。
勾玉石
令和御大典奉祝記記念事業を記念し、参道石畳工事を施工した株式会社 山六工業様から三種の神器の一つである勾玉の石を御奉納頂き、大神の大御稜を込めた勾玉石。
厳島神社
宝永4年(1707年)正月、広島厳島神社より御魂分けし弁天池内に鎮座する厳島神社。弁天池に流れ込む清流は龍源院境内から湧き出る地下水。
御祭神 弁財天女神(市杵島姫命・田心姫命・湍津姫命)
稲荷神社
享保18年(1733年)11月、稲荷神社の造立稲荷大明神の棟札がある。
御祭神 宇迦之御魂神
座間市指定重要文化財
①鈴鹿遺跡(住居址及び遺跡包蔵地(じゅうきょしおよびいせきほうぞうち)
年代:紀元前1500~2000年
所在地:鈴鹿明神社
指定年月日:昭和57年1月25日 史跡
この遺構(いこう)は昭和37年8月に発掘調査が行われ、約3500~4000年前の縄文時代後期(堀之内式期)に作られた「平地式住居址(し)」であることがわかりました。
住居址の西側大半が神社本殿下に存在することから形や大きさの全てはわかりませんが、方形または長方形と推定され、厚さ10センチメートルにわたって赤土などが敷き詰められていました。
検出された住居址東辺部の長さは3.8メートルで、中央部付近には内側に10~40センチメートルの転石が見られます。長さ1.9メートル・幅34センチメートル・深さ30センチメートルの溝が存在し、東辺部の北角には径22センチメートル・深さ41センチメートル、南角には径25センチメートル・深さ33センチメートルの柱穴がそれぞれ掘られています。
炉址(ろし)は遺構の中央からやや北側に6個の河原石を使った径40センチメートルの円形の石囲炉が設けられています。
平地式住居址は地面を掘りくぼめた「堅穴住居址(たてあなじゅうきょし)」と異なり、地面の上に土を敷き詰めて床を作っているもので、発見例は少なく貴重なもので、遺構は現在埋め戻され、保存されています。
(座間市ホームページより)
表面
裏面
②北条藤菊丸棟札(ほうじょうふじきくまるむなふだ)
制作年代:弘治2年(1556年)
所在地:鈴鹿明神社
指定年月日:令和2年12月25日 美術工芸品
棟札とは、寺社などが造営され竣工の折りに記念して、造営目的・祈願文を記し、造営に関わった人々の名を添えて、その建造物に納める木札のことです。
本棟札は鈴鹿明神社に伝わるもので、弘治2年(1556)の同社再建の記録として制作されたものと考えられます。
銘文にある「大壇那 北条藤菊丸」とは北条氏康の三男の北条氏照の幼名で、後に座間を含む地域を治めることになる氏照が寄進していたことを示しています。「藤菊丸」の名を氏照の幼名として確認できる資料は全国でも二例しかなく、貴重なものです。
【読み下し・表】
相州高座(たかくら)郡渋谷荘座間郷 願主(がんしゅ)藤原高家
遷宮(せんぐう)し奉る鈴鹿大明神、再造成就(じょうじゅ)の処、
弘治二年丙(ひのえ)辰(たつ)五月二日大旦那(おおだんな)北条藤菊丸(ほうじょうふじきくまる)殿
【読み下し・裏】
作り畢(おわ)る入目(いりめ)、五千疋 施主若林大炊助(おおいのすけ)
右、天長地久、御領円満の奉為(おんため)、殊(こと)には当郷安穏(あんのん)諸人快く、心中の所願皆本満し子孫繁栄の旨件の如し。
(座間市ホームページより)
アクセス
鈴鹿明神社
所在地 神奈川県座間市入谷西2-46-1
電 話 046-256-1122 FAX 046-253-8765
アクセス方法
◆電車でお越しの方
小田急線座間駅西口より徒歩約10分
JR相模線入谷駅より徒歩で約10分
◆座間駅よりバスでお越しの方
座間駅東口 「座間駅」バス停から「相武台下駅行」
もしくは
「座間四ッ谷行」乗車、「鈴鹿」バス停下車徒歩1分
◆お車でお越しの方
圏央道 圏央厚木ICより車で約10分
圏央道 圏央厚木パーキングスマートインターより
車で約10分
東名高速道路 綾瀬スマートICより車20分
◆「参集殿前駐車場12台分・身障者用1台分、
参拝者駐車場20台分、
土日祝日は臨時駐車場有40台分